2017年04月02日

パブリック・スクール――イギリス的紳士・淑女のつくられかた


パブリック・スクール――イギリス的紳士・淑女のつくられかた (岩波新書)
歴代首相をはじめ著名人を輩出した、イートン、ハロウなどの寄宿制私立名門校パブリック・スクール。階級が根強く残るイギリス社会において、上流階級の子弟の教育機関でありながら、文化の一部として広く国民に共有されてきた。独自の慣習からスポーツ、同性愛まで、小説や映画などからそのイメージの成立と変遷をたどる。

英国における学校の文化をコンパクトにまとめています。過去から現代まで時代も幅広いです。

初めは貧しくて学校に行けない少年たちのための慈善学校(グラマー・スクール)だったのが、運営するにはお金が必要になって、上流階級の子弟が通うになるのがパブリック・スクールです。
しかし19世紀始めまでは、パブリック・スクールは血気盛んな少年をしつけるための学校でした。やんちゃな貴族を一人前の紳士に育てるためです。飲酒や暴力は日常茶飯事でした。

秩序ある学校にしようと改革したのが、アーノルド・トーマス。監督生やファギング(上級生を下級生が召使のようにお世話する制度)が始まったのも、氏が提案したものです。
そして良いイメージを確立させるため、少年向けの読み物雑誌に清く正しい主人公が活躍する、パブリック・スクール物語を掲載します。それを読んで憧れたのが、中流階級や労働者階級の少年たちでした。

しかし男子校なので、実際はあい変わらず暴力やイジメ、答案を丸写ししたり、授業をサボったりしていたそうです。その内実を書いた自伝小説が20世紀始めごろから出版され、問題作になりました。

女子向けのパブリック・スクールが登場したのは、19世紀半ば。初めは家庭の事情で自活せざるを得ない少女のために、家庭教師になるための学校でした。
それが20世紀に入ると、女性が就職して自立するための学校に変わります。男子のように集団生活をし、勉強とスポーツをすることで、男らしい女性になる、と批判されることもありました。もちろん、裁縫や料理といった主婦になるための授業もあったそうですが、卒業生は紳士のように態度が堂々としていたそうです。

昔から存在していたグラマー・スクールですが、ほとんどはパブリック・スクールにならず、1976年に労働党が廃止するまで存続しました。現在は公立の中学校コンプリヘンシヴ・スクールに変わったのです。
日本でいう高校も兼ねているスクールは、そのまま卒業するグループと、進学するため2年残るグループに別れます。しかし進学できないグループが足を引っ張ってしまい、現在は不良だらけの荒れた学校だとか……。勉強どころではないそうです。

こういうのを読むと、伝統の大切さがわかります。
パブリック・スクールのようにお金持ちしか入学できなかったり、グラマー・スクールのように勉強ができないと奨学金が出なかったりするのは一見、不公平なようで、そのじつ理にかなっているのかもしれません。
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2017年02月11日

オペラの運命 十九世紀を魅了した「一夜の夢」


オペラの運命 十九世紀を魅了した「一夜の夢」 (中公新書)
オペラ――この総合芸術は特定の時代、地域、社会階層、そしてそれらが醸し出す特有の雰囲気ときわめて密接に結びついている。オペラはどのように勃興し、隆盛をきわめ、そして衰退したのか。それを解く鍵は、貴族社会の残照と市民社会の熱気とが奇跡的に融合していた十九世紀の劇場という「場」にある。本書は、あまたの作品と、その上演・受容形態をとりあげながら「オペラ的な場」の興亡をたどる野心的な試みである。

いわゆるオペラの歴史です。ただし作品の解説ではなく、あくまでもオペラの始まりから衰退までの流れです。劇場=オペラ空間と観客たち、に焦点があてられているという、まさに歴史書でした。そこがよかったです。

オペラは17世紀、絶対王政のバロック時代のイタリアが発祥。王が資金に糸目をつけず、豪華絢爛な舞台を祭りとして披露したのが始まりです。
ギリシャ悲劇復興をテーマにした宮廷舞台でしたが、内容はそっちのけ。とにかく非現実を演出する一大スペクタクルの祝賀祭典でした。(オペラ・セリア)
そのとき大活躍したのがカストラートという、男性歌手。男なのにまるで少年のような声で歌う姿で、人々を魅了したのです。以前、映画のノベルズを読んだのでこちらを参照。
面白いのは同じキリスト教でもカトリックだったからこそ、実現可能だったオペラであること。勤労と清貧を信条とするプロテスタントだとありえないお金の使い方だったそうです。

やがて18世紀後半、ロココ時代になると、モーツァルトが登場します。
バロック時代のオペラはあくまでも宮廷行事であり、庶民はもちろん市民が観賞することは不可能でした。王族貴族の贅沢な行事に、市民たちに非難されるようになります。啓蒙と王の力(財力)が落ちていった時代でもありました。
そんなとき登場したのが、オペラ喜劇(オペラ・ブッファ)。将来の凋落を予感しはじめた貴族たちが夢中になって、馬鹿騒ぎの劇を楽しむようになります。
そんなとき、颯爽と登場したのは作曲家であり、戯曲家のモーツァルト。有名なのがフィガロの結婚です。
当時、大仰で格式張ったオペラ・セリアは飽きられ、陽気な喜劇は人間的な男女が舞台に立ちました。どたばたの恋愛劇な人間臭いドラマへと変化します。当時のオーストリア皇帝、ヨーゼフ二世も大の喜劇好きでした。とくにモーツァルトが、人間的なドラマを描くのが得意でした。

フランス革命を経て、19世紀になると、フランスでは庶民たちが力を持つようになります。贅沢ができなくなった貴族の代わりに、成金――ブルジョワたちが貴族社交界の真似事として、オペラを観賞しました。
しかし教養があまりないブルジョワたちには、オペラ観賞は退屈そのもの。そして社交が目的だったため、観賞そっちのけで、ボックス席の客同士で雑談やトランプをして楽しみました。
ブルジョワたちのためにオペラは理解しやすく、壮大なものへ変わります。歴史や外国の風景と、コスチューム姿の群衆で再現し、メロドラマ的な作品が大流行します。(グランド・オペラ)
現代でいう、エンターテイメント化して、中流階級だけでなく庶民も平土間でオペラを楽しみました。

19世紀なかばに登場し、国民オペラを作ったのがワーグナー。オペラを知らなくても、その名前はだれもが聞いたことがあるほど有名です。
当時のドイツはオペラ後進国でした。なぜなら、オペラ作家を目指すにはイタリアかフランスへ留学するのが前提だったからです。しかし自国のオペラがないことにドイツの人々は不満を持ってました。
そんな時代、放蕩王で知られたバイエルンのルートヴィッヒ二世がパトロンとなり、ワーグナーを支援。彼は壮大なドイツ神話のオペラを作曲しました。ニュルンベルクの指輪、がそれです。
王の莫大な支援があったからこそ、できたオペラともいえます。その豪華絢爛な劇は、バロック次代から続く、非現実な一大スペクタクルの空間を作るオペラの本質そのものでした。

ほかにも隆盛を極めたオペラは文化の象徴になり、ブラジルやエジプトでも作られ、上演されました。しかし作曲はほとんど、イタリア、フランス人だったといいます。(エキゾチック・オペラ)

そんなオペラも第一次世界大戦後、一気に衰退しました。なぜなら、あまりにも悲惨な戦争だったため、人々は作り物の悲劇や豪華絢爛舞台に興味がなくなったのです。
そしてフィルム映画の登場で、さらにトドメを刺されてしまい、現代のように古典としてオペラは存続しています。

西洋の近代歴史が好きだったらおすすめです。オペラに興味がなくても、文化史として楽しめます。
ラベル:★★★
posted by 夏 at 20:51 | TrackBack(0) | 西洋史(雑学・専門) | 更新情報をチェックする

2016年08月13日

ヴィクトリア朝の性と結婚 性をめぐる26の神話

B00I7PNO26ヴィクトリア朝の性と結婚 性をめぐる26の神話 (中公新書)
度会好一
中央公論新社 1997-04-01

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ヴィクトリア文化は性を抑圧する文化であり、性に対するとりすました淑女ぶり、お上品主義である―このような考え方は、今世紀のみならず、当時からすでにあった。「中流階級の女たちは不感症に育てられる」「娼婦に落ちたら死ぬまで娼婦」「避妊を知らない」「未婚の母は召使に多い」など、本書は現在まで多くの人が受け入れている「神話」を26とりあげ、その虚構性を当時の日記や書簡、新聞の投書や漫画などの資料を通して検証する。

Kindle版があったので読んでみました。
あまり目新しい内容がなかった。あと、膨大な文献を紹介しているわりには、どのエピソードも深く書かれておらず物足りなかった。
ただ、ヴィクトリア朝そのものをあまり知らないときは、現代の感覚ではありえない内容でもあるので、新鮮に読めるかもしれません。

いくつか印象に残ったエピソードを。

・離婚制度はあったことはあったけど、女性が圧倒的に不利。男性は不倫をしても離婚しなくていいが、女性の不貞は離婚の要因になる。不倫された場合、妻が生活できないほどの暴力を夫から振われないと離婚はできない。
離婚するのが困難な場合、円満に別居生活をして、互いに関知しない覚書を交わすのが普通だった。

・慎ましい生活をしている中流階級の男性たちは晩婚化。結婚して妻を持つと、家庭も養わなくてはならないから貧しくなる。だけど、労働者の女性と結婚したら、階層ランクが落ちてしまうからそれもむずかしい。たっぷりと持参金を用意できる令嬢は、結婚後も裕福な生活を望むから、上の階級の紳士と結婚したがるのもある。

・中流階級の女性たちは性に無欲、とされていたが、それは妊娠の可能性を低くするためだった。当時、出産は命がけであり、妊娠を望まない女性は多かった。愛しあう相手との性交でオーガニズムを感じるのが怖かったのである。

あっけらかんとした文章なので、やや際どい内容もありますが、気軽に読めます。
道徳的な中流階級とそうでない労働者階級との対比が印象的でした。



posted by 夏 at 16:24 | TrackBack(0) | 西洋史(雑学・専門) | 更新情報をチェックする

ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術

B00VPQGZMAビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術 (中公新書)
飯田洋介
中央公論新社 2015-01-25

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一九世紀ヨーロッパを代表する政治家、ビスマルクの業績は華々しい。一八七一年のドイツ帝国創建、三度にわたるドイツ統一戦争での勝利、欧州に同盟システムを構築した外交手腕、普通選挙や社会保険制度の導入――。しかし彼の評価は「英霊」から「ヒトラーの先駆者」まで揺れ動いてきた。「鉄血宰相」「誠実なる仲買人」「白色革命家」など数多の異名に彩られるドイツ帝国宰相、その等身大の姿と政治外交術の真髄に迫る。

レビューの評価は高いですが、読む人を選ぶかもしれません。以下にその理由。

内容的に新書では収まらない量だと思いました。長いビスマルクの生涯を一冊にまとめようとしたためでしょうか、これでもか、と内容が記述ばかりで教科書を読んでいるようでした。だから、ビスマルクが政治家になったあたりから、読むのが飽きてしまって中断。その後、再読です。
19世紀当時のプロイセン史をある程度知っているほうが、いくぶんか読みやすいかもしれません。
個人的にはビスマルクの人となりのエピソードを生い立ちだけでなく、その後をもっと知りたかったです。

教科書で「鉄血宰相」として知られるビスマルクのイメージと、実際の彼の志は異なっていたようです。
ドイツを帝国にしたのも、あくまでプロイセンを一つの国として強くしたかった。そしてまとまりのないドイツ諸侯と揉めるのですが、ビスマルクはいつも才気でたくみに解決し、切り抜けます。外交も同様。
その選択がやがてナショナリズムへとつながり、冷酷な宰相として知られるようになりました。だけど、ビスマルク自身はあくまでもプロイセンを守るためであり、戦争も避けることができず仕方なしに、といった具合です。
保守派と社会派に分かれたドイツ議会のなかを、臨機応変に調整しながらドイツをひとつに纏める手腕が、一番の読みどころです。ある意味、抜け駆け、と言ったほうが近いかも。

意志の強いビスマルクだったから、皇帝ともたびたび衝突してしまいます。晩年、即位したばかりのヴィルヘルム二世と意見の食い違いにより、引退しました。
ビスマルクが首相を辞めたことで、保守的なドイツが進歩的に生まれ変わる、と国民は期待したのですが、実際は逆でした。さらにナショナリズムが強くなり、ついに第一次世界大戦の引き金を皇帝が引いてしまうのです。
その後、亡くなったビスマルクが再評価され、ドイツを強大な帝国にした彼はさらに神格化されました。

ビスマルクについてざっと知りたいときにおすすめです。歴史的に有名でも、実際はどのような政治を行ったのかはあまり知られていないのではないでしょうか。
posted by 夏 at 16:00 | TrackBack(0) | 西洋史(雑学・専門) | 更新情報をチェックする

2016年05月28日

写真で見るヴィクトリア朝ロンドンとシャーロック・ホームズ

4562052953写真で見るヴィクトリア朝ロンドンとシャーロック・ホームズ
アレックス ワーナー
原書房 2016-02-25

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ロンドン博物館が収集展示した貴重な図版と資料を中心に、ヴィクトリア朝後期のロンドン――コナン・ドイルの生活からホームズが歩いた町並みを活写。
見たことのない古き良きロンドンがここにある。

地図と写真を参考にしながらホームズが活躍したロンドンを紹介する内容――かと思ったら、考察が大半でした。
ホームズが活躍した19世紀末ロンドンについてのあれこれを書いてます。

以下、項目と簡単な内容を紹介。

・(間違った)正体?
……いわゆる序章。ホームズが活躍した当時のロンドンは、警察機構が整ったものあって劇的に凶悪犯罪が低下した時代。諮問探偵であるホームズへの依頼はあまりなかったはず。かといって、つまらない小悪党を捕まえる仕事には興味を持っていないのもあり、たびたび上中流階級の依頼人が訪れるという設定そのものがフィクション=間違ったロンドンのイメージ。
あと作者ドイル自身、ロンドンに定住したのはほんの一年足らずだったため、物語のロンドン描写が薄かった。設定ではホームズはロンドンに詳しいとあるので矛盾している。

・シャーロック・ホームズの”ボヘミアン的な生活習慣”
……ボヘミアン=自由な生活を謳歌する生き方のこと。労働者のようにあくせく働かず、結婚生活に縛られない彼らは、そう呼ばれた。上中流階級の紳士や芸術家、有名俳優など。ホームズもそのひとり。夜になると仲間と集い、飲食喫煙をしながら語らった。厳格だと思われがちなヴィクトリア朝の道徳へのアンチテーゼ。

・シャーロック・ホームズ、シドニー・パジェット、そして<ストランド>
……ドイルは連作形式の連載を初めて試みたことで、ホームズシリーズに多くのファンを作った。長編連載だと途中の号から読み始めた読者は脱落してしまうが、読み切り短編形式だとどの号でも楽しめるという画期的なアイデアだった。登場人物は同じだから、連載もののように愛着がわくのも成功した理由のひとつ。

・シャーロック・ホームズのアート
……当時のロンドンの街を描いた絵画の紹介と解説。

・ホームズを切り捨てる
……連載当初は現代的な探偵だったホームズだが、休載ののち復活したころは時代遅れになっていた。20世紀以降、常に近代化するロンドン。町並みはすっかり変わり、情報伝達も桁違いに増え、ラジオの登場。そして世界大戦で、さらに時代は進むも、物語のなかのホームズは19世紀末のまま。それでも絶大な人気があったホームズを、結局ドイルは切り捨てることができなかった。

・無声映画のシャーロックたち
……ドイルが存命のときからすでに劇場化、そして映画されたホームズもの。1911年に著作権法ができるまでは、無断上映や海賊版が横行していた。19世紀末を舞台にした映画は以外に少なく、上映されたその時代を舞台にしたドラマが大半だった。

ロンドンとホームズの写真やイラストがたくさんありますが、資料としては少し弱いかもしれません。ホームズ好きなら読み物として楽しめます。
当時のロンドンの雰囲気や出版事情について知りたかったらおすすめです。
ラベル:★★★
posted by 夏 at 21:29 | TrackBack(0) | 西洋史(雑学・専門) | 更新情報をチェックする